休校中の子どもたちに贈る「こんなときだからこそ伝えたいこと」②
休校中の子どもたちに贈る「こんなときだからこそ伝えたいこと」②(全5回)
「休校中の子どもたちを何かで元気づけられないか?
不安を和らげてあげられないか?」
そんなふうに、いろいろと考えてくださった結果、作家の瀧澤中さんが
「人間力メルマガ」にて、特別にこんな記事を寄稿してくださることとなりました。
その第2回です。
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昨日は、「自分以外の人のために」という覚悟をすると
恐怖や不安が後回しになる、というお話しをしました。
きょうは、「では、どうすればそんな気持ちになれるのか」
ということを、お話ししたいと思います。
あなたは、遊びたいですか?
お金がほしい? 楽したい?
勉強しないで怠けたい?
たまに意地悪な気持ちになる?
はい、私もそういう気持ちがたくさんあります。
でも。ほんのちょっぴりでも、身体の不自由な人を手助けしたい、
ほしいものを我慢して募金に協力したい、
そういう気持ち、心のどこかにありませんか?
人の心を1つの円に表すと、右半円が、善い心。
優しい、心が広い、勤勉、思いやりがある。
左半円が、悪い心。意地悪、心が狭い、怠ける、自己中心。
人は、自分さえよければいい、という心と、
他人を助けてあげたい、という心、両方持っているんです。
あなたはいま、電車の中で座っています。
目に前におばあさんが立っています。
あなたは、どうしたいですか?
部活で疲れてるし、あしたのテストのために単語覚えなきゃいけない。
すこし居眠りもしたい・・・。
おや? 別の声も聞こえてきます。
おばあさん、なんだかつらそうだなぁ。
単語なんか立ったまま覚えられるし、譲ってあげようかなぁ。
こんなときは、あなたの心の中で、善い心と悪い心が、戦っているのです。
あなたは席をおばあさんに譲りました。
良い心が勝ちました。
どうして?
あなたが、自分のことより、おばあさんのことを思ったから。
日本の歴史上でも、たくさん同じことが起きています。
少年が本を読みながら、たきぎを背負っている像を見たことがありますか?
そう、二宮金次郎。
あの像は、金次郎が、いまで言えば中学生くらいの頃だと言われています。
二宮金次郎は、すごいことをやります。
600以上の村々を、救うのです。
中には、食べ物がまったくなくて毎日バタバタと人がたおれ、死んでいった村もありました。
金次郎は、どうやって村を救ったのか。
まず、村人の身体を休めさせます。
次に、どう働けば豊かになるかを教えます。
そして、ふだんからムダな出費をおさえ、危機に備えるようにします。
働いて、稼いで、出費はおさえる。
すると、お金が余ります。
余ったお金を、どうするか。
将来のため、子どものために貯める。
これは、理解できます。
それとは別に、自分の住んでいる地域のため、
自分以外の人のために役立てるようすすめます。
いっしょけんめい働いて稼いだのに、他人のために使う??
ちょっと考えられませんね。
でも、今から200年くらい前の江戸時代、村人たちは実際に、
「自分以外の人のため」に余ったお金を、みんなで助け合うお金として寄付し合います。
どうしてそんなことができたのか。
自分以外の誰かを助ける、という方が、
自分の欲望を満たすよりもより魅力的だったからです。
自分は良いことをしている。
その気持ち良さを、あなたも経験したことがありませんか?
お年寄りに席をゆずったときに感じる、あの気持ち。
あなたは善い心も、悪い心も、どちらも選択できる。
忘れないでほしいのは、
その選択の積み重ねが、あなたの人生になるということ。
善い心の選択を積み重ねた方が良い人生になるにきまっています。
二宮金次郎は、ほとんど財産を残しませんでした。
でも、200年たったいまでも、こうして私たちの前にあらわれるのです。
素晴らしい人生だと、思いませんか?
ちなみに、「人には、善い心と悪い心のふたつがあって、
それが一つの円になって人間をつくっている」と考えたのは、二宮金次郎です。
迷ったとき、自分の心に「どうしようか」とたずねてください。
あなたがたずねる心が、善い方の心でありますように。