「あれがあったからこそ」と言える人生のために
みやざき中央新聞から紹介します。
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大阪の私立高校野球部での話です。
当時、コージ(仮名)という子がいました。彼は賢くて、肩も強く、パワーもある子でした。
ただ、身体が大きいためにちょっと動きが鈍かったので、練習試合にすら出させてもらうチャンスがないまま、3年生になりました。
それでも彼は腐ることなく、グランド整備とか裏方を頑張っていました。
特に彼はバッティングマシンの高さ調節が抜群にうまかった。
また、練習試合を応援に来た観客の方に対しても、敵・味方関係なく、
「ここは日が差すので、あっちの方が涼しいですよ。」とか「椅子どうぞと」
と声をかけてずっと周りに気を配る子でした。
3年生最後の夏の大会の背番号発表の日。
つまり試合の登録メンバー発表の日です。
次々に名前が呼ばれる中、最後の15人目にコージの名前が呼ばれたのです。
グランドで同級生たちが「ウォー!」と叫びました。
みんな自分のことのように喜び、「よかったな、よかったな」ってコージに声をかけました。
「こいつどれだけ愛されているのか」と思いました。
その光景は普段のコージの姿を物語っていました。
背番号15番、サードの控え。
この背番号をコージと争っていたのが、1年生のケイスケ(仮名)でした。
背番号をもらった次の日もコージはバッティングマシンを調整していました。
その下で、マシンが反動で動かないように太い杭をケイスケがガンガン打ちつけていました。
次の瞬間、ケイスケが振ったハンマーがコージの指を打ったのです。
一瞬、いやな空気が流れました。
コージは左手をおさえてうずくまり、ケイスケは謝る(あやまる)こともできないくらい真っ青になって震えて(ふるえて)いました。
あっという間にコージの手がはれていきました。
すぐに病院へ向かうため、コージを駐車場まで連れて行ったときコージが「ケイスケを呼んでください」と言うんです。
ケイスケは走ってきて、「すみません、すみません」と泣いていました。
コージは言いました。
「ケイスケ、ごめん。お前がハンマー打っているのを知っていたんや、でも、俺は早く練習がしたかったんや、
ハンマーを打っているときはハンドルをさわらないルールがあるのに、俺が焦って(あせって)ハンドルを触って(さわって)しもうたんや。ごめんな。」
ってコージは謝る(あやまる)んです。
もちろんケイスケは「いえいえ、すみません。僕の不注意です。」って謝って(あやまって)いました。
そして、車で駐車場を出る瞬間、コージは「ケイスケ、俺の分まで頑張ってな」と言ったのです。
コージは、この時期にこんなケガをしたらベンチ入りから外され
、背番号15番はケイスケがつけることになるだろうと理解したんだろうと思います。
夏の大会が終わったある日、ある大学のアメリカンフットボールの監督がこの高校の野球部を訪ねてきたのです。
アメリカンフットボールにはクオーターバックというポジションがあります。
野球でいったらピッチャーとキャッチャーをあわせもつポジションです。
作戦を考え、すべての指示を出し、決定的なパスを出す。
それだけ大変なポジションだからこそ、適した選手がなかなかいない。
そこで野球をしている子から使えそうな子がいないか、大学の先生が探しに来たんです。
「頭が良くて、肩が強くて、身体が大きい子いませんか?」と。
監督はすぐにコージのこれまでのエピソードを話しながら彼を推薦(すいせん)しました。
話はどんどん進み、コージはその大学に入り、2回生の時からレギュラーとなりました。
4回生では西日本代表のキャプテンに選ばれ、今は実業団チームで大活躍しています。
高校3年の、あのけがをした時、コージはケイスケを責めることもできたと思います。
ケイスケを怒っても誰もコージを責め(せめ)なかったと思います。
でも、コージは違った。
「いつも自分が原因や」と考える子だったんです。
どんな時でも人を思い、人のために動いていたコージだからこそ、
いつも間にか自分も輝く道を歩いていたんだと思います。
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中学・高校・大学・社会人と成長していく皆さんはこれからいろいろな経験をするでしょう。
その時に、「あれがあったからあかんかった」と考えるのではなく、
「あれがあったからこそ」と考えることができると,
これからの人生は素晴らしいものになると思います。