「両目を失明した時に九歳の息子が言ったこと」(日めくりカレンダー付)

9歳まで両目を失明し、18歳のときに特発性難聴で失聴し全盲ろう者になり、
その後東京大学教授になった福島智さんのお母さんの話です。
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「両目を失明した時に九歳の息子が言ったこと」
   福島令子(「指点字」考案者)

息子の智はね、失明する前に眼圧が上がってね。
もう、辛抱強い子やのに泣きました。

そうすると、熱は出るし、お部屋の人が皆寄ってきて、
足をさすったり何かしながら「頑張れ」とか
「神様に拝んであげる」とか言ってくれました。

普段泣かない子が泣くんですから、
相当痛かったと思うんですけど。

大人でも、眼圧が上がったらすごく苦しいそうですね。

もう、ほんとにあの時は可哀相やったですよォ。

智は水を飲まなかったら眼圧は上がらないと
信じ切っていて、好きな苺を食べる時でも、
これ一個で五㏄分かなとか言いながら。

そのうち師長さんが
「お願いやからヤクルトでも飲んでちょうだい」
と言いましたが、意志が強くて頑として拒否し、
水でうがいなどして辛抱していました。

智の皮膚はミイラみたいに皺が寄ってね。

その後、最後の手術をされたけど、
眼圧が上がり切っていてもう手に負えなかったですね。

その時、智はね、いろいろと考えたんだと思います。
まだ九歳やのに、偉いなぁと思いますよ。

智の入院費用などをたくさん出してくれていた祖父が、
智の目が見えなくなったと聞いたら、
もう、泣いて、泣いてね。

祖母が言うには、家で祖父の姿を三日間も見かけないと思ったら、
家の二階へ上がって泣いていたそうです。

でも智はね、お医者も恨まなかったし、神仏にも不平を言わず、
親にもとやかく言いませんでした。

そしてね、自分は失明しているのに、
祖父が泣いてると聞いたら
「お祖父ちゃんに電話をかけるから地下まで連れてって」
と言って、病院からこんな電話をしたんです。

「お祖父ちゃん、泣いても仕方ないんだよ。
 するだけのことをしてこうなったんだから。
 世界中で一番偉い先生が診てもダメな時はダメなんだよ」って。

そして、「僕はね、いま悲しんで泣いてるより、
 これから先、どういうふうに生きていったら
いいかを考えるほうが大事だと思ってるんだよ。
お祖父ちゃん、僕は大丈夫だからね」

祖父はそれを聞いて、余計泣いたと言いました。

親が言うのもおかしいですが、
この時は私も、すごい子やなぁと思いました。