「命のバトンタッチ」鎌田實(医師)
以前紹介しましたが、今、書店でベストセラーになっている書籍
『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』から、
医師の鎌田實さんの話を紹介します。
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僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんにかかった余命三か月の女性の方がいました。
ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、彼女がこう言ったんです。
「先生、助からないのはもうわかっています。だけど、少しだけ長生きさせてください。」
彼女はその時、四十二歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、黙ってお茶を飲んでいた。
すると彼女が、「子供がいる。子どもの卒業式まで生きたい。
卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。
九月のことでした。
彼女はあと三か月、十二月くらいまでしか生きられない。
でも、私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。
子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。
奇跡は起きました。
春まで生きて、卒業式に出席できた。
こうしたことは科学的にも立証されていて、たとえば希望をもって生きている人のほうが、
がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も発表されています。
おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない三つのシステム、
内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。
さらに不思議なことが起きました。
彼女には二人のお子さんがいます。
上の子が高校三年生で、下の子が高校二年。
せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと僕たちは思っていました。
でも、彼女は余命三か月と言われてから、一年八か月も生きて、
二人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。
そして、一か月ほどして亡くなりました。
彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて
びっくりするような話をしてくれたんです。
僕たち医師は、子供のために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、
彼女の体調が少し良くなると外出許可を出していました。
「母は家に帰ってくる度に、私たちにお弁当を作ってくれました」と娘さんは言いました。
彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は立つこともできない状態です。
病院のみんなが引き止めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は、「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら
戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。
ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんはこのように話してくれました。
「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はお結びでした。
そのおむすびを持って、学校に行きました。
久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。
昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、
切なくて、切なくて、なかなか手に取ることができませんでした。」
お母さんの人生は四十年ちょっと、とても短い人生でした。
でも、命は長さじゃないんですね。
お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。
人間は「誰かのために」と思ったときに、希望が生まれてくるし、
その希望を持つことによって免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。