「娘への償いが届いた日」(志賀内泰弘)
志賀内泰弘さんのギブ&ギブメルマガから紹介します。
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『娘への償いが届いた日』
母は幼少期、複雑な家庭環境で育った。
両親(私の祖父母)の激しい夫婦喧嘩は日常茶飯事。
カッとなった祖母が醤油を一気飲みして病院に運ばれたこともあった。
そして毎回バトルの末に幼い母が耳にしたのは、
「この子はアナタが連れて行きなさいよ!」「なんでオレが!」だった。
そのたびに幼い母の心が硬直した。
しかし、そんな少女のドラマを私が知ったのは、祖父母が他界してからだった。
私がちょうど小学生のときだ。
母の強い望みから、祖父母は私たち家族と一つ屋根の下で住むことになった。
私は祖父母が大好きだった。
脳溢血を患っていた祖母だったが、毎晩、私に読み聞かせをしてくれた。
祖母のおかげで読書好きになり、世界が広がった。
また、祖父は毎日、電車で小学校の送り迎えをしてくれた。
酷い後弯症で曲がった腰がつらそうな日も、送り迎えをやめなかった。
雨の日も、風の日も…
ある日、祖父に私は聞いた。
「おじいちゃん、どうして毎日、学校まで来てくれるの?おばあちゃんは毎日、本を読んでくれるし、うれしい」。
祖父は坊主頭をカリカリかきながら、私にこう言った。
「お母さんにしてあげられなかったことを、今、タカミちゃんにしてあげたいからだよ。
タカミちゃんのお母さんは、世界一親孝行な娘。
タカミちゃんも、大きくなったら親孝行してね。お母さんを頼むよ」。
その3年後、祖父が他界したとき、私は祖父のメッセージをふと思い出し、母に伝えた。
普段泣かない母が泣いた。
でも、その時はまだ、祖父が感じていた「世界一親孝行な娘」の本当の意味を私は知らなかった。
それから30年以上が経った最近、あのときの祖父の言葉が気になった私は母に聞いた。
「おじいちゃんが『お母さんにしてあげられなかったこと』って言ってたけど、どういう意味だったのかなぁ?」
母は少し戸惑いながらも、「もう大人になったあなたなら、良いも悪いも理解できるから話してもいいかな」と全てを話してくれた。
あの優しかった祖父母が、まさか…と少し困惑したが、穏やかに話す母を見ていると不思議と祖父母を嫌いにはなれなかった。
でも、もし幼いあの頃の私が波乱万丈な母の幼少期を知っていたら、絶対に祖父母が大っ嫌いになっていたのだと思う。
祖父母と数えきれないほどの思い出を刻ませてくれた母には尊敬と感謝の気持ちしかない。
そんな気持ちを込めて私は今日も祖父母の仏壇の前に座って伝えるのだ…
「たくさん親孝行したいから、たくさん守ってよね」と。