「梓からのメッセージ」という授業
月刊誌「致知」2013年度版に福岡県の当時、
特別支援の担任となった先生が書いた手記を紹介します。
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十数年前、障害者のある子どもがいじめに遭い、多数の子から
殴ったり蹴られたりして亡くなるという痛ましい事件が起きました。
それを知った時、私は障害児を持った親として、また一人の教員として、
伝えていかなくてはならないことがあると強く感じました。
そし、平成十四年に担任する小学校五年生の学級で
初めて行ったのが「梓からのメッセージ」という授業です。
梓は私の第三子でダウン症児として生まれました。
梓が大きくなっていくまでの過程を子供たちへの質問も交えながら
話していたところ、ぜひ自分たちにもみせてほしいと
保護者から授業参観の要望がありました。
以降、他の学級や学校などにもどんどん広がっていき
現在までに、福岡市内六十校以上で出前授業や講演会をする機会をいただきました。
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梓が生まれたのは平成八年のことです。
私たち夫婦はもともと障害児施設でボランティアをしていたことから
我が子がダウン症であるという現実も割に早く受け止めることが出来ました。
迷ったのは上の二人の子たちにどう知らせるかということです。
私は梓と息子、娘と四人でお風呂に入りながら、
「梓はダウン症で、これから先もずっと、自分の名前も書けないかもしれない」と伝えました。
息子はだまって梓の顔を見つめていましたが、
しばらくしてこんなことを言いました。
さあ、なんと言ったでしょう?
という私の質問に、子供たちは「僕が代わりに書いてあげる」
「私が教えてあげるから大丈夫」と口々に答えます。
この問いかけによって、一人ひとりの持つ優しさが
グッと引き出されるように感じます。
実際に息子が言ってたのは次の言葉でした。
「こんなに可愛いっちゃもん。
いてくれるだけでいいやん。
なんもできんでいい」
この言葉を紹介した瞬間、子供たちの障害に対する認識が少し変化するように思います。
自分が何かをしてあげなくちゃと考えていたのが
いや、ここにいてくれるだけでいいのだと。
価値観が揺さぶられるのでしょう。
さて次は上の娘の話です。
彼女が「将来はたくさんの子供が欲しい。もしかすると私も
障害のある子を生むかもしれないね」と言ってきたことがありました。
私は「もしそうだとしたらどうする」と尋ねました。
ここで再び子供たちに質問です。
さて娘はなんと答えたでしょう?
「どうしよう・・・・私に育てられるかなぁ。お母さん助けてね」
子供たちの不安はどれも深刻です。
しかし、当の娘が言ったのは思いも掛けない言葉でした。
「そうだとしたら面白いね。だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」
子供たちは一瞬「えっ?」と息を呑むような表情を見せます。
そうか、障害児って面白いんだーー。
いままでマイナスにばかり捉えていたものを、
プラスの存在として見られるようになるのです。
逆に私自身が子供たちから教わることもたくさんあります。
授業の中で、梓が成長していくことに伴う
「親としての喜びと不安」にはどんなものがあるかを挙げてもらうくだりがあります。
黒板を上下半分に分けて横線を引き、上半分に喜びを、
下半分に不安に思われることを書き出していきます。
・中学生になれば勉強がわからなくなって困るのではないか。
・やんちゃな子たちからいじめられるのではないか・・・・。
将来に対する不安が次々とあげられる中、こんなことを口にした子供がいました。
「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」
理由を尋ねると、
「だって勉強が分からないくても周りの人に教えてもらい、
分かるようになればそれが喜びになる。意地悪をされても、
その人の優しい面に触れれば、喜びに変わるから。」
これまで、二つの感情を分けていたことは、果たしてよかったのだろうかと
自分自身の教育観を大きく揺さぶられた出来事でした。
子供たちのほうでも授業を通して、それぞれに、何かを感じてくれているようです。
「もし将来、僕に障害のある子が生まれたら、今日の授業を思い出して、
しっかり育てていきます」といった子。
「町で障害のある人に出会ったら、自分にできることはないか考えてみたい」と言う子。
「私の妹は、実は障害児学級に通っています。凄くわがままな妹で、
喧嘩ばかりしていました。」と打ち明けてくれた子。
その日の晩、ご家族の方から学校へ電話がありました。
「お母さん、なんでこの子を産んだの?
と私はいつも責められてばかりでした。
でも今日、梓ちゃんの授業を聞いて気持ちが変わったけん、
ちょっとやさしくできるかもしれんよ。
と、あの子が言ってくれたんです・・・・」
涙ながらに話してくださるお母さんの声を聞きながら、
私も思わず胸がいっぱいになりました。
授業の最後に、私は決まって次の自作の詩を朗読します。
「あなたの息子は
あなたの娘は
あなたの子供になりたくて
生まれて来ました。
生意気な僕をしっかり叱ってくれるから
無視した私を論してくれるから
泣いている僕をじっと待っていてくれるから
怒っている私の話を最後まで聞いてくれるから
失敗したって平気、平気と笑ってくれるから
そして、一緒に泣いてくれるから
一緒に笑ってくれるから
おかあさん
僕のおかあさんさんになる準備をしてくれていたんだね。
だから、ぼくは、私は、あなたの子どもになりたくて生まれてきました」
上の娘から夫との馴初めを尋ねられ、
お互いに学生時代、障害児施設でボランティアをしていたから、と答えたところ、
「あぁ、お母さんはずっと、梓のお母さんになる準備をいていたんだね」
と言ってくれたことがきっかけで生まれた詩でした。
昨日より私は、特別支援学級の担任となりましたが、
梓を育ててくれる中で得た多くの学びが、いままさにここで生かされているように思います。
「お母さん、準備してくれたんだね」という娘の言葉が、より深く私の心に響いて来ます。
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このような優しい人、家族が増えていきますように。