「苦難の時代」をしなやかに生き抜くために(鈴木秀子)
鈴木秀子さんの『あきらめよう、あきらめよう』から紹介します。
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今、私たちは、「苦難の時代」の真っただ中にいるのでしょう。
新型コロナウイルスが出現してから、私たちの生活は激変しています。
いつ収束するかわからない新型コロナウイルスの感染拡大、失速する経済など、
先行きが全く見えない中、誰もが大きな不安と戦っています。
晴れやかな気持ちだ始まったはずの令和という時代が、まさかこのような
困難な局面を迎えるとは、いったい誰が予測できたでしょうか。
私たちの心の中に生まれた「不安」。
これから先どうなるのかという不安。
健康に関する不安。経済の不安。自分自身、家族、会社、仲間、社会
・・・・あらゆる場面に蔓延する不安。
不安は、ストレスを生み、私たちから幸せを遠ざけます。
不安が心の余裕を奪ってしまうからです。
本来ならば、一層心を寄せあうべき人との関係がギスギスして、
不協和音を立てることになります。
「最近、人にやさしくする余裕を失いかけている」
そう自覚している人も、もしかしたらいらっしゃるのではないでしょうか。
また、「こんな時こそ頑張らなくては」とあせっている人も多いはず。
こうして頑張り続けた結果、心をすり減らしていく人が生まれていくのです。
そんな方々に接するたびに、私は2011年の出来事を思い出します。
私たちから多くを奪った、あの東日本大震災です。
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私は東日本大震災の後、被災地を訪れ、現地の方々と話をしました。
スーパーマーケットで、空っぽだった陳列棚に、ちらほらと商品が並びだしたころ。
お総菜コーナーにおむすびがあるのを見て、喜びの声を
上げている人をお見かけしたことを、今も鮮明に覚えています。
「ああ、おむすびが入荷しているよ!」
見ると、並んでいたおむすびは、たった一種類でした。
もちろん震災以前は、食材の種類は豊富にありました。
でも、一種類のおむすびを喜ぶ、その人の周りはたくさんの笑顔が広がりました。
被災した方々には多くの苦労があり、多くの希望もありました。
物資や温かい家を失ったという現実を受け入れるのも、簡単な
ことではなかったはずです。
けれども悩み苦しんだ末に、現状を見つめなおし、受け入れたのです。
その結果として、おむすび一つにも、心からの感謝と喜びを
感じることができたのでしょう。
そのころ、サンフランシスコに住む友人から、こんなメールが届きました。
「私たちは、日本の皆さまに心からお礼を申し上げたい。
大変な状況の中、一人ひとりがしっかりと自分を律し、感謝を忘れず、
お互いを大切にしながら、力を合わせ、復興に向けて懸命に努力を続けている。
その姿を世界中の人に見せてくださった。皆さまの態度は、
私たちに大きなインスピレーションを与えてくれました。」
どんな苦難の中でも、いいことを見つけて感謝し、喜ぶことができる。
そんな人は、自分の心のみならず、周りの人の心も満たし、温めることができるのです。
悲しみが、そのまま不幸になるわけではありません。
たとえ悲劇であっても、心のありよう次第で、不幸にはしない。
それを可能にするのが「あきらめよう」という考え方です。
私はこの考え方を「聖なるあきらめ」と呼んで、大事にしています。
「聖なるあきらめ」とは、賢く気持ちを切り替えて
「あきらめる」ことで、皆が幸せに近づく行為のこと。
世の中が重苦しい不安に襲われている時だからこそ、
人の心が軽くなるように、「あきらめよう、あきらめよう」と、
私はみなさんに呼びかけたいのです。