『二つの黒板のメッセージ』志賀内泰弘

志賀内泰弘さんのギブ&ギブメルマガ
から『二つの黒板のメッセージ』を紹介します。
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ウイルスが猛威を震い、人類は震撼し右往左往しました。
多くの人が感じたのではないでしょうか。
自然の力を侮っていたのではないか。
人間の力は自然の驚異の前では実に乏しいと。

こんなに科学が発達しても、未だに世界中で天変地異による被害は無くなりません。
それでも人は、目先の利益を優先し、地球温暖化の問題を先送りしてきました。
今回のウイルスの騒動もしかり。
次から次へと新しいウイルスに襲われます。
医学の発達は疫病との戦いの歴史でもあります。
おそらく、この先も人類はずっと戦い続けなければならないのでしょう。

京都の仏佛寺の壁に大きな大きな黒板が掲げられています。
学校の教室の黒板ほどあります。
そこに「標語」が筆書きされ、行き交う人々の注目を浴びています。
その数々が話題となり、一冊の本にもなりました。
「晴れてよし、降ってよし、いまを生きる 京都佛光寺の八行標語」です。

例えば、こんな言葉。
「握れば ゲンコツ 差し出せば 握手 すべての私の都合 
なのだと 知らされて 合わす掌 となる」

こんなのも。「貧しさとは 物のない状態を いうのではない
 与えられてある物が 受け取れず ないものばかりに
 目を向ける 心の内にある」

なるほどなぁ〜と感心しつつも、自分の至らなさを指摘されているようで、
ちょっとドキッとすることもあります。

さて、そんな「標語」の一つです。
「どうにも ならないことは どうする 必要もない
 晴れてよし 降ってよし 勝ってよし 負けてよし」

これに目が留まったのは、非常事態宣言の真っ只中でした。
ステイホームが叫ばれ、ストレスが貯まる。
どこかへ行きたい。でも、我慢だ我慢。
そんなモヤモヤとしてどうにも気持ちの持って行きどころがない時、ハッとしたのです。

今は、もがかないで、ただ受け入れよう。
どうにもならないのだ。
雨の日、嵐の日と同じなのだ。
自然に闘いを挑むのではなく、今は、じっとしている時なのだと。

そう言えば・・・。似たような言葉に出逢ったことがあります。
スマホのアルバムを探すと・・・。

「雨の日は 雨のよろこび 
 風の日は 風を楽しむ 
時として 畏れ慎め」

それは、京都の貴船神社の清めの手水舎の黒板で、昨年写したものでした。
その時には、まさか、世界中がこんなことになろうとは思いもしませんでしたが・・・。

自然は偉大です。
人間の力は小さい。
奢りは禁物。
でも、人間も自然の一部です。
雨や風と戦うのではなく、柳の枝のようにしなやかに生きることができれたなら。

二つの黒板の言葉に、考えさせされました。
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自然は本当に偉大です。
人間の存在は本当に小さいけれど、
小さいなりに確実に生きています。
私たちは「たくましく、しぶとく、たくましく」
過ごしたいですね。