たとえ一生を尽くしても、会わねばならない一人の人がいる
脳神経解剖学の世界的権威であり、第16代京都大学総長を務められた平澤興先生。
平澤先生は1989年に亡くなっていますが、たくさん書かれた本の中で
人々の心に灯をともす言葉を残しておられます。その中の一つを紹介します。
—————————————
大阪の御堂筋に、西本願寺の難波別院というのがあります。
そこの黒板に、非常にいいことが書いてありました。
「たとえ一生を尽くしても、
会わねばならない一人の人がいる。
それは私自身」
こういう言葉であります。
もちろん説明は書いてはないのであります。
この言葉は、こともなげに言っておりますが、
実は非常に素晴らしい内容だと思うのであります。
自分自身とは自分のことでありますから、
毎日会っておるわけであります。
別に一生を尽くさなくても、
毎日、寝ておる時も目がさめておる時も、
四六時中会っておるわけでありますが。
ここで「たとえ一生を尽くしても、
会わねばならない一人の人がいる。
それは私自身」というのでありますが、
それはただ自分がいつも,なんとはなしに
会っておる自分ではなくて、
いったい自分という人間はどういう人間かという、
そういう自分であります。
そして、自分はどういう人間かと
いうことを知るためには、
おそらく自分ひとりだけを見ておっても
できないだろうと思うのであります。
たえず人間とは何か、というようなことを考えて、
せめて自分自身くらいはなんとか知りたいものだと。
ただしそういう人が自分自身を知った時は、
すなわち実はもはや万人、すべての人…ということなんですが、
だいたい人間というものは何かというようなことで、
人間の問題を深く考えることになるかと思うのであります。
——————————–
よりよい人生を過ごすためには
しっかりと自分を見つめたいですね。