ちょっといい話『泣きたくなったら・・・』志賀内泰弘

おそらく、一つの「苦労」もせずに人生を最期まで送れる人はいないでしょう。

辛いこと。悩むこと。
悲しいこと。寂しいこと。

それを通り越して、悶えだけでなく、「死んでしまったら、どんなに楽だろう」
なんて考える人もいるでしょう。

もし、学校の授業に、「辛いことがあった時、どうしたらいか」などという科目があったら、
どんなにいいだろうなどと考えることがあります。

社会に出るということは、苦労の連続です。
社会に出た時に役立つことを教えるのが「教育」ではないかと思うのですが・・・。

さて、高倉健さん主演で映画化もされた大ベストセラー「鉄道員(ぽっぽや)」で
直木賞を受賞した浅田次郎さんの作品に、「霞町物語」(講談社文庫)という小説があります。

東京の霞町に住む「僕」が主人公。

認知症の進む祖父と父親が営む写真館を舞台に、胸がギュウと苦しくなるほど、
せつなくほろ苦い感動連作ストーリーです。

高校の卒業の記念に、祖父が「僕」と、幼い頃からの友達のキーチと良治の
三人の写真を撮ると言いだします。

三人を、それぞれ椅子に座らされてシャッターを切ります。
良治の番になった時、祖父は言います。
ここからは、本文からの抜粋。

    *    *    *    *

「おめえは唇がひしゃげている」
祖父は良治に向かって言った。
「え?——そうですか」
「人間、どうすりゃ口が曲がるかしってっか?」
「知らねえ」
「嘘ついたとき。分不相応の見栄を張ったとき。うんざりと愚痴を言ったとき」
「はあ・・・」と、良治は気まずそうに小さな会釈をした。
「要するにおめえは、嘘つきの、ええかっこしいの、愚痴っぽいやつだ

——ああ、そうそう、あとひとつ。ずっと写真を撮っていると口が曲がっちまう」
片目をつむり、唇をひしゃげたまま祖父はファィンダーから顔をもたげる。
「こんなふうによ」
むろん、それは洒落だ。

祖父はどんなときどんな相手にも、ふしぎなくらいまっすぐ向き合った。
「どうすりゃ治るかな」
「簡単さ。笑うときは大口をあけて笑う。ワッハッハッ」
「ワッハッハッ」
「そうだ。そんで。泣きたくなったら奥歯をグイと噛んで辛抱する」

良治は道化て口を噤んだ。
「こう?」

    *    *    *    *

いかがですか。

「笑うときは大口をあけて笑う。ワッハッハッ」
「泣きたくなったら奥歯をグイと噛んで辛抱する」
この二つを守れたら、たいていのことは、乗り越えられそうな気がします。

あまりにも簡単だけど、いや、単純だからこそ、わざわざ誰も教えてくれない気がします。
それを教えてくれるのが、お爺ちゃん、お婆ちゃんなのかもしれません。

話には続きがあります。祖父は、こう言います。

    *    *    *    *

「オーケー。男は毎日それの繰り返し。
一生それの繰り返し——ハイ、撮ります。あっち、ねえ、さん」

    *    *    *    *

そうなのです。
笑う時には、思いっきり笑う。
泣きたいときは、グッと耐える。
人生とは、その繰り返しだと。

人の一生は、「そういうことの繰り返し」だと、若い頃から教えられていたら、
「何かあった」時、それだけで乗り越えられる気がするのです。

心の準備というのでしょうか。
そんな授業が中学か高校であったなら、
その後、私の40年間の人生は違っていたものになったかもしれません。

いや・・・変わらないかな?
体験しないものは、身に付かないとも言いますからね。