わがままと思いやり(水谷もりひと)

日本講演新聞編集長水谷もりひとさんのエッセイから紹介します。
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わがままと思いやり

 うちに2歳の女の子がいる。
 次女の子だ。
 第二子出産のため、一時的に帰省しているのだ。

その2歳の子が実にわがままで、自分中心だ。
 僕の大事な音声データが入っているウォークマンを
「自分のもの」だと主張してやまない。
なぜか、小さな携帯みたいな形が気に入ってしまったらしい。

 幼稚園に行った後、僕の机の引き出しにしまうのだが
幼稚園から帰ってきて、第一声は「あれはどこ?」らしい。
それを手にするまでわめく。
そのうるささに負けて手渡すとご機嫌になる。

 日常のあらゆることがこんな具合で、すべて自分中心。
ただちょっとだけ思いやりも芽生えてきた。

 昨日、出張に行った際にいちごのキャンディをお土産に買ってきた。
たくさんあるので、1個ずつ家族に配っていた。

 100%わがままで、思いやり0%だった子が
 わがままが95%になり、5%思いやりが芽生えてきた。

つまり成長したのだ。

 赤ん坊は最初は100%自分中心である。
 「眠い」「眠くない」「お腹が空いた」「もう食べたくない」等々
 自分の都合で大人を振り回す。

 成長と共にちょっとずつ思いやりが芽生えてくる。
わがまま99%と思いやり1%
わがまま90%と思いやり10%
わがまま80%と思いやり20%

 思いやりは成長するにしたがって芽生えてくる。 

つまり人間としての最高の成長レベルは
0%わがまま、100%思いやりの境地なのだろう。

ところが、世間一般の声を聴くと、 歳を取るとわがままになるという。
 「自分には自分のやり方がある」というように
人の話を素直に聞かない年寄りになると始末が悪い。

 成長ではなく、退行である。

 認知症という病気になれば仕方がないが、
そうでないのに素直でない年寄りは、周りの人にとって迷惑だ。

せっかく成長してきたのに、
60過ぎて、70過ぎて退行するのはもったいない。

 人間として仕上げの段階に入るというのに。

 自分は成長しているのか、退行しているのか、
その判断基準はわがままと思いやりに割合にあるのかもしれない。

 常に人から素直に学ぼうという心の姿勢があれば、順調に成長していくのではないか。

 「学び」と「思いやり」は比例して大きくなる。
そう考えると、どんな年寄りになるか、その向かうべきところははっきりしてくる。