子どもは大人と区別されることで育つ(塩野七生)
月刊「致知」の連載で、作家五木寛之さんの「忘れ得ぬ人、忘れ得ぬ言葉」から紹介します。
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作家の五木寛之さんがある雑誌で古代ローマの物語をたくさん書かれている塩野七生さんと対談したときの話です。
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話題が「こども」のありかたに及んだことがある。
そのとき塩野さんが言った言葉は「子どもは大人と区別されることで育つのです。」でした。
塩野さんはイタリアから日本へ帰国するとき、自分はビジネスクラスに乗っても、息子さんは必ずエコノミーの席を予約するという。
自動車に家族が乗るとき、イタリアではドライバーの父親の隣は母親に決まっているそうだ。
日本では前席に子供が乗って、後ろに母親が乗る光景がよくみられるが、欧米では反対であるという。
そもそも運転席の隣の席は助手席ではない。
父親と母親が優先、そして子供たちはそれにしたがうというのが常識のようだ。
わが国では、しばしば高級フランス料理店や一流の寿司の店などで子供連れの客を見かけることがある。
明治以来、急速に近代化した私たちの社会では、子どもを大人と区別しないことが愛情の表現のように受けとられているようだが、そうではない、と塩野さんは言った。
家族内の優先順位は、まず夫婦、そして子供はそのあと、が常識なのだ、と。
「往々にして日本の場合、それが逆になることがあるでしょう。だけど、イタリアの子どもはどんな風にして育つかというと、大人に相手にされないから、チキショー、いつか大人になったら、と思いつつ育つのです。子供はそうやって育てるんです、わざと」と塩野さんは笑って言った。
自立、ということの大事さを改めて思ったひとときだった。