寓話(ぐうわ)「樽の中のワイン」
「座右の寓話」から紹介します。
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山奥のユダヤ人の村に、新しいラビ(ユダヤ教における宗教指導者)が着任することになった。
村人たちはラビが着任する日に、祝いの宴を開くことにした。
ユダヤ教会堂の中庭に空の樽を用意し、前日までに村人それぞれが一瓶分の酒を樽の中に注ぎ入れておくことにした。
当日までに樽はいっぱいになった。
新任のラビが到着すると、村人たちはラビを住まいに案内した。
そして、ユダヤ教会堂に案内して、祈りをささげた。
その後、祝いの宴となった。
しかし、どうしたことだろう。
樽から注いだ液体はまったく酒の味がしない。
それはまるで水のようだった。
長老たちは新任のラビの手前、戸惑い、恥じ入った。
突き刺すような静寂が立ち込めた。
しばらくして隅にいた貧しい村人が立ち上がってこう言った。
「みなさんに告白します。実は、みんなが酒を注ぎ入れるだろうから、
わしが一瓶くらい水を入れたって、誰にも分らないだろう。そう思ったんです。」
間髪を入れず、別の男が立ち上がった。「実はおれも同じことを・・・」
その後、次々に、「わしもです。」「おれもです」と言いだし、
とうとう村人全員が同じことをしていたことがわかった。
この話の教訓は「自分一人くらいさぼっても・・・」が広がると組織は崩壊するということだ。
誰かのさぼりや手抜きは、それを尻ぬぐいをする人がいる限りは、表面化してこない。
しかしながら、尻ぬぐいをする人よりも、さぼる人や手抜きをする人が多くなると一気に問題が表面化してくる。
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元サッカー日本代表監督の岡田武史さんはこれの類話である「祭りの酒」をしばしば選手に聞かせると言います。
「サッカーのチームが負ける時には、自分一人が手抜きをしてもかまわないという選手が多くいる」そうです。
「強い組織を作り上げるには一人ひとりが絶対に手抜きをしないこと」
が必要なんですね。