山高きが故に貴からず。樹有るを以て貴しとす。
致知出版社のブログから紹介します。
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平安末期から明治初期まで、およそ千年にわたって
子供の教科書として使われてきたという『実語教』。
江戸期に至っては日本中の子供たちが寺子屋で学んでいたといいます。
説かれているのは、「学問の大切さ」や「親兄弟のあり方」など、
いずれも人生の指針となる教えばかり。
『実語教』のことを“日本人千年の教科書”と呼んでいる人もいます。
このような内容が書かれています。
山高きが故に貴からず。
樹有るを以て貴しとす。
【訳】
山は高いからといって
価値があるわけではありません。
そこに樹があるからこそ
価値が出てくるのです。
【解説】
みなさんは、「日本で一番高い山は?」と聞かれれば、
すぐに「富士山!」と答えられるでしょう。
富士山は見た目も美しく、立派な山です。
けれども、山は高いから価値があるのかといわれると、どうでしょうか?
確かに高い山は立派に見えますが、
それは価値があるということなのでしょうか?
『実語教』のこの言葉は、
「山が高いから貴いのではなくて、
そこに樹があるから貴いのだ」といっています。
なぜ樹があると貴いのでしょう?
樹を切って材木にして、家を建てたり、箸を作ったり、
社会のために役立てることができるからです。
「何かの役に立つ」ということがとても重要です。
そのときに初めて価値が生まれるのです。
これは別のいい方もできます。
たとえば、勉強ができる人はそれだけで立派なのでしょうか?
もしもその頭を悪事のために使うとすれば、とても立派とはいえません。
やはり、頭がいいから貴いわけではなくて、それを世の中のために
役立つように使うところに、初めて価値が生まれるのです。
それに不思議なのですが、自分の得になることだけを考えて勉強しても、
あまりやる気は湧いてきません。
ところが、世の中の役に立つ仕事をしたいという目標を立てると、
勉強する意欲が急に湧いてくるのです。
人間は誰でも、「世の中の役に立ちたい」
という気持ちを心のどこかに秘めているのですね。