私たちは自覚できないだけで、本当は幸せに満ち満ちている(鈴木秀子)

『致知』連載「人生を照らす言葉」から、鈴木秀子さんが生きていく上で
見落としてしまいがちな大切な視点をいつも伝えてくださっています。
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私たちは自覚できないだけで、本当は幸せに満ち満ちている──。

世界的なコロナの感染拡大が起き始めた頃、「なぜ、こんなことになってしまったのか。
原因はどこにあるのか」という議論が盛んに湧き起こりました。

もちろん、コロナ発生の原因や予防策について科学的に研究し議論することはとても大切です。
しかし、私はコロナが私たち人類に何を気づかせようとしているのか、
そのことに思いを馳せる視点も大事だと思うのです。

私たちが意識する、しないに拘らず、春夏秋冬は確実に巡ってきます。
いかに財を築き社会的地位を得たとしても、いずれ死を迎え
それを手放さなくてはいけない時が必ずやってきます。

人間の欲望渦巻く社会の中にあっても、そういう人間意識を超えたところで、
大宇宙は変わることのない秩序で動いています。
その厳然たる事実に心を開く必要があります。

コロナによって恐怖心に苛まれ、社会の閉塞感に息苦しさを覚えたとしても、
死ぬこともなく命が与えられている。手や足が動き、食事をおいしくいただける。
住む家や働く職場があり、日々の生活の糧を得ることができる。

自然に目を向けてみれば、太陽の光も水も空気も、
生きる上で必要なものはすべて無条件に与えられている。

これら一見、当たり前のように思えることの価値、
その素晴らしさを感じ取る中にこそ本当の幸せがあります。

幸せは遠くに手を伸ばして掴もうとするものではなく、当たり前の日常が
いかにありがたいかを噛み締めて生きることなのです。

苦しい出来事が続く日常にあっても、
時には大空や高い木々を見上げてみてはどうでしょうか。
心の中で大宇宙の秩序に思いを馳せてみてはどうでしょうか。

大いなる力によって満たされ、生かされていることの喜びが心の奥底から湧き出てくるはずです。

 コロナの時代はそのことに気づくことのできる貴重な機会でもあるのです。